きたもとスコープ

スコープ SCOPE。光学機器の名称。望遠鏡(テレスコープ)顕微鏡(マイクロスコープ)潜望鏡(ペリスコープ)銃の光学照準器などがある 。きたもとスコープでは「きたもとまちびらきプロジェクト」に参加する人々へのインタビューを連載します。同じ北本に集っていても、人が違えばみえている景色も違うはず。インタビューを通してその人の視点からきたもとの暮らしをのぞき見る。そんな連載です。

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2022 年 12 月 10 日(日)
北本まちびらきプロジェクト、「自然と休日」グループでフィールドワークを行いました。その様子をレポートします。グループメンバーは北本の自然に関心を持っている人が多かったため、フィールドワーク実施場所には北本自然観察公園と緑のトラスト保全第 8 号地(高尾宮岡景観地)が選ばれました。

※本記事は#きたもとスコープ 自然と休日とフィールドワーク《高尾宮岡景観地編》からの続きとなります。

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11:30 厳島神社
ほどなくして厳島神社の入り口にたどり着く。厳島神社は宝暦 6 年(1756)に建てられたとされる神社で、本堂の周りをぐるっと一周ため池が囲んでいる。もともと池の中の小島に建立したため、かなり低い場所に建てられており、道路からは急な階段を下りなければいけない。12 月にもなるがまだあたりは生い茂っており、階段を下りると日が入らずうす暗く感じた。

「自分が子供の時ここは自然の沼で 、 降りようと思ったら、ウシガエルが鳴いてて怖くて降りらんなかったんです。るつぼみたいな地形で、もっと暗かったんですよ。ここには本当に色々な伝説があって、昔は二丈六尺の杉の木が、一丈が十尺なので、直径 7メートル 60センチの大きな杉のご神木があったんだそうです。それが台風で倒れてしまって、地元の人が惜しんで 中の島を築いたっていう言い伝えがあります。その他にも、その杉に龍が巻き付いて昇天したっていう龍灯杉の伝説があったりとか。

他にもこんな逸話があります。東京の神田町の新銀町に中島屋久四郎という商人がい て、その人は庭に弁財天を祀っていたそうです。その弁財天が、ある夜夢枕に立ち『私を楓ケ丘という綺麗な景色の場所に移しなさい 』と言ったそうです。中島屋久四郎さんが真面目にその場所を探している時『染めて今 梢の果ての高尾山 紅葉が丘は錦なりけり』という宗祇という歌人の歌を思い出し、ここを見つけて。実際ここには楓ケ丘さんという家と小さな地名 が 残っているんですよね。確かに景色のいいところ だったので、ここに違いないと言って、その弁財天を移したそうです。だからここは神々が望む、すごく神聖な場所 なんだということを示す言い伝えですね」

本堂を囲む池の上には一本の石橋が渡されているのだが、その石橋にも歴史があるようだ。

「その久四郎さんが弁財天を移動したのが宝暦 6年なんですけど、この石橋にもちょうどその年号が刻まれているんです。多分北本で一番古い石橋がこれですね。橋には当時詠んだであろう『幾年の 秋を経るともくちせじな 楓ケ丘に渡す石橋』という和歌 も刻まれています。じゃあ湧水点に行ってみましょう」

神社に向かって左手側、山道をさらに進み、先ほど遊歩道から見ることができなかった水源地の近くまで降りる。ササの茂みを抜けると、谷底は良くひらけた平地になっていた。平地の片隅、木が生い茂る一角が湧水点だ。この時期は湧き水の量が比較的少ないそうだが、それでも砂底からモコモコと湧き出す水源を観察できた。

「ここが水源ですね。今は湧水量が少ないんですけど、すごいときはもうわーって吹き出してて、砂も全部吹き飛ばしちゃうほどです 。あたたかい時期にペットボトルを持ってきて、水を汲んでみると結露 します。そのくらい 湧水は冷たく感じますね 。それから水質調査で 、ここは飲めるぐらいきれいな水質だという結果がでて い る。市内で十カ所ぐらい調査したんだけど、その中で一番綺麗だったんですね。シマアメンボという珍しいアメンボも結構いるんですけど、もうこの時期は難しいかな 。さっきの厳島神社も湧水点でここも湧水点で、このような豊かな湧水点を囲むこの辺りは宮岡氷川神社前遺跡という縄文の遺跡になっていて、すごいんですよ。

縄文人は台地の上で生活をしていましたが、いろんな食料の加工などをするためにこの谷に降りてくるわけです。実際ボーリング調査をしたら3メートル下に生活面があって、そこから当時の木の実だとか土器だとかがいっぱい出てくるはずです。低地の遺跡は掘ったらたくさん出てくるので、すごい情報量なんですよ。一回試し掘りというか、確認調査をやりたいなと思っているんですけど…できるかな…。また次の場所に移動しましょう。上にあがっていきますか」

11:50 須賀神社
次は斜面を登り、すぐ上の須賀神社へ。安土桃山時代に建立されたと言い伝えられる、歴史ある神社だ。この神社には牛頭天王が祀られているのだが、その神紋にまつわる禁忌があるとか…

「この辺りの 旧 荒井村は キュウリをつくらない、キュウリを食べない村として有名 でした 。ここ須賀神社には牛頭天王が祀られていて、まあそれはスサノオノミコトと同じなんですけど、その神紋が『 五瓜に唐花紋 』という瓜のモチーフの紋なんですね。それがキュウリをまっぷたつにしたときの断面によく似ていて、それほどそっくりだからもったいなくて地域で食べちゃだめとか、作ってはいけないということになっていたんですね。7月に祇園祭がありますが、それが済んでちゃんとお供えした後なら食べてもいい 。ただし、必ず 縦に切ってそれから横に切って食べなさいっていわれていましたが 、今はもう普通に食べているでしょう。その神紋がちゃんと軒瓦の部分についているんですよ。キュウリに似ているかどうかは微妙なんだけど」

京都にも牛頭天皇を祀った八坂神社という大きな神社がある。そこも同じ神紋があり、今でも神社の近くに住む地元の人たちは、祇園祭が終わるまでの間キュウリを食べないという話を聞いたことがある。信仰の都合で食べられない食べ物があるというとイスラム教の「豚を食べてはいけない」がすぐに思い浮かぶが、日本にも古くは「禁忌作物」としてそうした食べ物が存在していたのだと改めて認識した。昔はもっと生活と信仰の距離が近く、お互いに影響を及ぼしながら独特の文化をはぐくんでいたのだろうと思う。

須賀神社を出て南の方へ歩く。大きな畑が続くのどかな眺めだが、少し前までは違った景観が広がっていたそうだ。

「昔、ここに養蚕の稚蚕飼育所というのがあったんです。それが古くていい建物だったんですね。それからここは宮岡氷川神社前遺跡という縄文遺跡で、何度か発掘しにきました。この辺りは 一段高 くなっているんですが、実はここに土手状の「高まり」があったんですよ。それは縄文後・晩期の人たちが造った土手で、集落の周りを土手で囲う環状盛土の集落という、縄文の終わりに出てくる集落形態なんですね。なのでここを掘ると土器がいっぱい出てくるんです。

氷川神社の周りは完全に縄文時代の集落跡と重なっちゃうんですよ 。なぜか縄文後・晩期の優れた遺跡は神社に多い。掘るとまじないのための、いろいろな道具が出てくるので昔からきっと他とは違う神聖な場所だと思われていて 、そういう意識があった から 、神社が鎮座する場所に選ばれたのかもしれません。

ああそうそう、あそこの麦畑に逆さ椿の碑があるんですよね。上杉謙信が陣を張った跡だという伝説があります。 実際に吉見の松山城には北条・武田の連合軍が攻めたとき、2月に雪の上越国境を越えて上杉謙信が援軍にここまで来ています。その陣を去る時に謙信が杭を立てると、その杭から根が生えてきて、大きな見事な椿の木になった。白い椿なので越後銀だとか、枝が下に向かって伸びるので、逆さ椿と言われたそうです。椿の木は昭和の初めまで残っていたんだけども、土地が売られてしまったということで、その後に碑を建てたん だそうです。元々地元ではこの辺が北本で一番高い場所だって言われていて、そこに陣を張った。精巧な地図ができた今は高尾の阿弥陀堂のほうが高いんですけど、でもその差は多分 50センチぐらいしか違わないので、あながち間違っていません 。実際、向こう側の家が建ってるあたりを調査したんですね。そしたら、もう幅と深さが 2メートル以上の大きな堀の跡が出てきて、戦国時代の軍事施設があったことは確かなんです。だから謙信が陣を張ったかどうかは別にしても、 伝説があるところはバカにできない 、何か歴史的な理由があるようです 。ところで石碑には南無妙法蓮華経って題目が書いてあるんですけど、そこにツバキの葉っぱの絵が書いてあります 」

磯野さんの話を聞いていると、何気ない風景が戦国時代に結びついたり、縄文時代と結びついたりと、土の上に重なってきた歴史の厚みを感じる。平たんな畑の景色も、話を聞いていると雪の日の戦や、縄文時代の儀式などを想像して全然違った景色が立ち上がってくる。さながらポケモン GO のような、拡張現実 AR ツアーのようだった。

フィールドワークも終盤にさしかかり、トラスト地の遊歩道まで戻るルートへ。道中に北向き地蔵の前を通った。その名の通り、北を向いたお地蔵さんだ。

「これは有名な北向き地蔵ですね。お願い事をするときに泥団子を供えて本当に願いが叶ったらお米の団子を供えるって言うんですけど、お米の団子はあまり見たことがない かも」

北向き地蔵のまわりには、大小さまざまな泥団子が供えられていた。そのなかには泥団子に見た目が似ているからか、キウイフルーツもまじっていた。

12:10 集合写真撮影、解散
10 分ほど歩き、最初の集合場所へ戻る。記念写真を撮影してこの日はお開きとなった。帰る道すがら、「先生!」と駆け寄るおうたろうくんに、「先生じゃなくて磯野でいいよ」と返す磯野さん。このフィールドワークで 2 人はすっかり仲良しになっていた。

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土地や歴史に詳しい人と一緒に歩けば、ただの散歩が何倍も面白さを増し、その地域について造詣を深めるフィールドワークになる。鳥に詳しい人と歩けば普段聞き流していた鳥の声に耳を澄まし、生き物の息遣いを感じ取ることができる。このように、自分とは異なる視野を持った人と一緒に歩けば、見慣れた景色でも普段は見えない景色が立ち上がってくるのだ。
たかがまちあるき、されどまちあるき、たった一つのまちでも読み解くレイヤーは幾重にも折り重なっていることを実感したフィールドワークとなった。 終

#きたもとスコープ 自然と休日とフィールドワーク《北本自然観察公園編》

#きたもとスコープ 自然と休日とフィールドワーク《高尾宮岡景観地編》